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分相応ということ

「その人の身分や能力にふさわしいこと。また、そのさま」とあった。分相応というと、為政者が人々を支配しやすいように、社会の秩序を維持するために、普及させたことばというイメージもあるが、実はもっと深い意味もある。

人の能力は十人十色。ひとつの評価基準で、人々を評価するのではなく、数多くの評価基準を受容できる社会を実現し、無数の個性が輝き合いながら前進していく、そんな社会を目指していこうという意味もあるのだ。

人には社会で果たすべき役割がある。封建制度の時代は、「分」は生まれたときにすでに決められていたが、今の時代は、それを自分で探し当てなければならない。逆に言えば、価値感が多様化した今は、一人一人がそれぞれの価値観で、自分の「分」を探し、築き上げれる楽しみが与えられた。

階級社会が発達したヨーロッパでは、自分の進むべき道を人生のかなり早い段階で決めるという。そしてその自分の「分」にのっとて、社会における役割を果たしていくのだそうだ。階級社会には、そのすべての構成員に果たすべき役割があり、それが、構成員の自己実現となる。多くの人の自己実現が成功している社会では、他者の「分」を理解しようとする心の余裕が出てくる。これが重要だ。これが潤滑油となり、多様な価値観が互いの相乗効果を発揮していくのだ。

しかし、今の日本はこの対極にある。同じような「分」をもった人たち集まった集団同士が、互いにいがみ合い、あるいは無関心を決め込み、そのパワーを相殺しあっている。

自分の「分」を全うすることによる、社会から、他者から必要とされている感じが得られていない人が多いのではないだろうか。幸福感の絶対量が少ない社会では、内在するパワーが響きあわないため、停滞する。

[2010/07/24]